8月22日に行われた横浜市長選挙が永田町に衝撃を与えた。
総理大臣、菅義偉のお膝元、横浜市の市長選挙で、菅が全面支援した側近の元閣僚、小此木八郎が、立憲民主党が推薦した元大学教授、山中竹春に大差で敗れたのだ。
なぜ大差がついたのか。そして“横浜ショック”で、自民党総裁選挙や衆議院選挙はどうなるのか。
(有吉桃子、小嶋章史)
ふたを開ければ圧勝
8月22日夜8時。
報道各社は、立憲民主党が推薦した山中竹春の当選確実を一斉に伝えた。
カジノを含むIR=統合型リゾート施設の誘致に反対する立憲民主党や共産党など野党と市民団体に支えられた市長が誕生した瞬間だった。
立候補者が過去最多の8人を数え、一時は、誰も当選に必要な法定得票数に届かず、再選挙になるのではともささやかれていたが、ふたを開けてみれば山中の圧勝だった。
「もう選挙には出ない」
一方、敗れた小此木八郎。IRの横浜誘致については、山中と同様、反対を掲げて戦った。
何が明暗を分けたのか。
小此木は、こう振り返る。
「市長になったら(IR誘致の取りやめの主張を)ひっくり返すのではないかと疑念や不安をもたれた方が少なくないと感じた」
小此木は、支援を受けた菅に、携帯電話で「ありがとうございました」とメッセージを送った。
菅からは「ご苦労さま」と返信があったという。
思わぬ大差での敗北。今後の政治活動について問われると、小此木は「もう選挙には立候補しない」と答えた。
割れた自民支持層
なぜ、ここまでの大差がついたのか。
まず関係者があげるのが「保守分裂」だ。
小此木が立候補を正式に表明したのは6月25日。
その場で、自民党や公明党がこれまで推進してきたIRの横浜誘致について「市民の信頼が得られていない」として取りやめる考えを示した。
自民党は小此木への推薦を協議したが「これまでIRを推進してきた経緯を踏まえれば、支援することは出来ない」という声が上がり、自主投票とすることを決定。公明党も歩調を合わせた。
36人いる自民党の市議のうち6人は、IR推進を訴える現職、林文子の支援に回った。
IRの実現に期待する企業関係者や商店街なども林を支援し、自民党支持層が割れることになった。
NHKが投票日当日に行った出口調査では、自民党支持層のうち、小此木に投票したと答えたのは39%、林と答えたのが23%だった。山中にも14%が流れていた。
“史上最大”の運動量も
大差の要因は「保守分裂」だけなのか。
党としては、自主投票になったとはいえ、自民党や公明党の多くの議員は、小此木の支援に回っていた。告示を前に開かれた集会にも、自民・公明両党の国会議員や県議会議員、市議会議員らがずらりと並んだ。
そして、地元のタウン誌で菅が全面支援を表明。
順風満帆の船出に見え、陣営には大きな危機感はなかった。
しかし告示以降、少しずつ山中が伸びてきているという各種調査の情報がもたらされる。小此木陣営は、支持固めを徹底するため、支持者に直接支援を訴える電話作戦に運動をシフトした。
陣営関係者は「横浜市長選挙史上、最大の作戦と言えるぐらいの運動量だ。政策論ではなく、思いっきり組織戦で勝ちにいく作戦は間違っていない」と話していた。
さらに「最後にはみんな勝ち馬に乗ってくると思うよ」と話す関係者もいた。
全面支援を約束した菅も、みずから支援者らに直接電話して小此木支持を訴えていた。
「10年ぶりに直接、菅さんから電話をもらった」と驚く人もいたほどだった。
コロナ対策をアピール
小此木陣営の動きにもかかわらず、各種調査では、むしろ山中の優勢が強まっていった。
その裏には新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大があった。
山中陣営は、臨床統計学を専門とし、新型コロナのワクチンの有効性などに関する研究を行ってきた山中を「コロナ対策の専門家」と前面に押し出して有権者にアピール。
さらに街頭演説などで、野党の幹部が口をそろえて、菅政権や林市政のコロナ対策を批判した。
陣営は、コロナ対策に不満を抱く有権者からの期待の声が、日に日に大きくなっていくことを感じたという。
これに対し小此木陣営は、急きょポスターに「災害級のコロナ危機 前防災担当大臣が横浜を守る。」という文言を加えて貼り替えた。
さらに演説も、コロナ対策に重点を置いた内容に見直した。
しかし、選挙戦は最終盤に突入していた。
陣営からは恨み節も漏れるようになっていた。
「遅きに失した」
「やれることはやっているが、支持を固めきれないのは、菅総理大臣への反発とコロナの感染拡大のせいだ」
「争点はIRではなくコロナ」
立憲民主党などは、候補者の擁立段階から、ある戦略があった。
関係者が証言する。
「IRの反対だけでは勝てないと思い、コロナの専門家を擁立した。作戦が的中した」
さらに選挙戦をこう分析した。
「IR反対の主張は市民に広く浸透していた。対立候補の多くがIR反対を訴えたため、選挙戦がスタートした時点で争点はIRではなく、コロナ対策に移っていた」
山中の擁立を主導した立憲民主党代表代行の江田憲司は、こう胸を張った。
「自民党が分裂したことで 漁夫の利を得たなんていう報道もあるがまったく違う。まさに、ここ横浜で感染爆発と医療崩壊が進行している中で、山中竹春こそが救世主たりうると市民が期待した結果ではないか」
“ハマのドン”吠える
IRをめぐって菅と袂を分かった「ハマのドン」とも呼ばれる横浜の港の有力者で横浜港運協会の前会長・藤木幸夫も、当選した山中の隣で、こう言い放った。
「市民の力がこれだけ強いと、この選挙でわかったから、菅は辞めるんじゃないか。辞めなきゃしょうがない。電話がかかってきたら辞めろと言います」
敗北の衝撃
選挙結果は、横浜だけでなく、永田町にも波紋を広げた。
小此木が苦戦しているという情報は、選挙戦の中盤には自民党執行部の耳にも届いていた。ところが、山中の当選確実が早々に報じられたことに党内の各議員は動揺を隠しきれなかった。
さらに衝撃を与えたのは、小此木が山中を上回ったのは、横浜市に18ある区のうち、鶴見区のわずか1つで、菅が選挙区とする3つの区(西区、南区、港南区)でも山中の得票が小此木を上回っていたことだ。
「とんでもない差がついてしまった。総理の地元で、つい先日まで閣僚だった小此木さんが負けたということは政権への影響は大きい。総理の責任と言われても、言い訳できないだろう」(菅に近い議員)
「菅総理にとっては厳しい結果だ。選挙基盤の弱い若手からは『今の体制では衆議院選挙を戦えない』という声が出るだろう」(閣僚経験者)
選挙から一夜明け、菅は、次のように述べた。
「大変残念な結果であった。市民の皆さんが、市政が抱えているコロナ問題など、さまざまな課題について、ご判断をされたわけであり、そこは謙虚に受け止めたい」
さらにその翌日、党の役員会に臨んだ菅は、あいさつでは横浜市長選挙には一切触れず、終了後、それぞれの役員のもとに歩み寄り、協力に謝意を示した。
3週間前、告示直前に開かれた役員会で居並ぶ役員を前におもむろに立ち上がり「個人的な友情もあり、小此木をよろしくお願いしたい」と深々と頭を下げたのとは、打って変わった対応だった。
勢い増す「論戦」の声
小此木の敗北は、解散戦略にも少なからず影響を与えたとされる。
菅の自民党総裁としての任期はことし9月末。
党執行部は、菅が解散を決断すれば、総裁選挙は衆議院選挙の後に先送りするというシナリオを描いていた。
しかし、横浜での敗北で政権幹部の間で取り沙汰されていた、東京パラリンピック閉幕直後の「解散」の案はしぼんでいった。
7月の東京都議選の苦戦に続く、横浜市長選挙の結果を受けて、党内では、党員投票を含む“フルスペック”で総裁選挙を実施し、複数の候補者による本格的な論戦を望む声が勢いを増した。党幹部からも、予定通りの総裁選挙の実施を容認せざるを得ないという声が出始めた。
「危機感を持って自民党が変わったというところを国民に見せなければならない。総裁選挙を先にやって、出来レースではなくリアルなものを見せないといけない」(閣僚経験のある党幹部)
市長選挙から3日後の8月25日。菅は党本部に足を運び、幹事長の二階俊博、二階側近の幹事長代理・林幹雄とおよそ30分間、向き合った。
緊急事態宣言の対象拡大を決定したこの日。菅は政府の新型コロナ対策を説明し、党側にも地方の声をよく聞いて欲しいと要請した。
総裁選挙を含む政権運営については、短時間、意見が交わされただけだったという。そして、菅は二階に対し「総裁選挙は粛々と進めて頂きたい。党にお任せする」と伝えた。
岸田、立つ
総裁選挙での本格論戦を求める声が強まる中、動向が注目されたのが、去年の総裁選挙で菅に敗れ、その後は「無役」となっていた、前政務調査会長の岸田文雄だ。
岸田は、横浜市長選挙の3日前、派閥の会合で「国民に幅広い選択肢を示す意味で大切な場だ」と総裁選挙への立候補に意欲をにじませていた。
そして岸田派だけでなく、ほかの派閥の一部からも岸田の立候補に期待する声が出てきていた。その理由の多くは「菅の無投票再選を阻止すべきだ」という点にあった。
去年の総裁選挙で、菅に大差をつけられた経緯もあり、当初は、岸田派内でも立候補に慎重な意見があった。しかし、市長選挙の結果も踏まえて岸田の意欲が固まるにつれ、そうした声は聞こえなくなっていった。
そして、総裁選挙の日程が決まる前日の25日。岸田は、派閥議員をはじめ、党内の有力議員に次々と連絡をとり、決意を伝えた。
翌26日には、記者会見で立候補を正式に表明した。
「自民党に、声が届いていないと国民が感じ、政治の根幹である信頼が崩れている。自民党が国民の声を聞き、幅広い選択肢を持つ政党であることを示すため、総裁選挙に立候補する」
菅 二階を交代させる意向
岸田の発言は、菅が進めるコロナ対策に国民の声が反映されていないとも受け取れる。
また岸田は、党の信頼回復に向けた改革の一環として、党役員に中堅や若手を登用し、任期を連続3年までとすると表明。5年以上にわたって幹事長を務める二階を念頭に置いたものだという受け止めが大勢だ。
こうした中、8月30日に菅と二階が再び会談。このあと二階の幹事長交代がにわかに永田町を駆け巡った。
菅は近く、自民党の役員人事を行い、二階を交代させる意向を固めた。
会談で二階にこうした意向を伝え、二階も受け入れる考えを示したという。
そして、党幹部の間では菅が二階の幹事長交代を含む党役員人事を断行した上でただちに解散する「総裁選挙先送り論」が浮上した。
人事のあと、ただちに衆議院選挙になだれ込むというものだ。
衆議院選挙が実施されれば、結果的に総裁選挙は先送りされる。
ただ、先送り論に対しては、総裁選挙での論戦を求める党内から猛反発が予想される。
菅は9月1日、記者団の取材に応じた。
「今のような厳しい状況では、解散ができる状況ではないと考えている。自民党総裁選挙の先送りも考えていない」と先送り論を否定した。
17日に告示される総裁選挙と、10月21日の衆議院議員の任期満了という日程が交錯する中、総裁選挙と衆議院選挙の日程をめぐって、党内は疑心暗鬼になっている。
そして総裁選は…
総裁選挙への対応について菅は「時期が来たら出馬させていただきたい」と繰り返し、再選への意欲を重ねて示している。
すでに立候補を表明した岸田も、支持の呼びかけを進めている。
さらに、前総理大臣の安倍晋三に近い前総務大臣の高市早苗も、立候補に意欲を見せている。
予定通り9月17日に告示、29日に投開票の日程で総裁選挙が行われると、どうなるのか?
去年の総裁選挙で菅を支持した党内5つの派閥のうち、多くはまだ態度を決めかねている。衆議院選挙を間近に控え、派内の若手・中堅議員からは、地元の事情などを考慮し、各自の判断で投票できるよう求める意見も出ており、各派の幹部からは、こうした意見を無視できないという声も漏れる。
去年は行われなかった党員投票も、今回は実施が決まり、国会議員票と同じ数の票となって結果に反映される。
菅の再選か、それとも新たな総裁が選ばれるのか。
さまざまな思惑も絡みながら、選挙戦の趨勢は、まだ見通せない。
野党 “塊になれば地滑り的勝利”も
一方の野党。
菅内閣のコロナ対応に、極めて厳しい判断が下された結果だと、政府与党を批判。
自民党総裁選挙で政治空白を作るべきではないとして、対策を議論するため臨時国会の召集を要求している。
また、横浜市長選挙では、立憲民主党が推薦し、共産党と社民党が支援する野党連携が、機能した形になり「野党が大きな塊になれば、地滑り的な勝利を起こすことが立証できた」という声もあがった。
野党側は、衆議院選挙でも小選挙区で候補者を一本化し、与野党が1対1で争う構図を作りたい考えだ。
ただ、立憲民主党と共産党の間では、なお70の小選挙区で候補者が競合している。衆議院選挙の日程もにらみながら、協議を急ぐことにしているが、どこまで一本化できるかが焦点になる。
”横浜ショック”で、永田町は、慌ただしさを増している。
情勢は刻一刻と目まぐるしく変わっていて、先行きは見通せない。
誰がこの政局を勝ち抜くのか。そして、コロナ収束への道筋を示すことができるのか。
永田町の暑い夏は、もうしばらく続く。
(文中敬称略)